「愛とは何なのか?」という問いをたてると、きりがないし、そもそもそこに明確な1つの答えなど存在しません。
月並みで陳腐な表現になってしまいますが、まさしく「愛には色々な形がある」のです。

さて、冒頭から少し抽象的な話になってしまいましたが、「愛を注ぎ続けられる」というのはどのようなことを指すのでしょうか。

「無償の愛」という言葉を言ったのはキリストですが、ヒントはそこにあります。「愛を注ぎ続けられる」ことができるようになるための1つの条件として挙げられるのは「見返りを求めない」ということです。

友達関係においても、男女関係においても言えることですが、人付き合いを損得勘定を基にしてしまっていては、その関係性が尊いものになる可能性は限りなく低くなります。
特に恋愛関係に「消費者の感覚」を持ち込むのは最も駄目なパターンです。これはどういうことかと言うと、具体的な例として次のようなことが言えます。

彼女、あるいは彼女候補の女の子に何かプレゼントをあげたします。それが1万円くらいしたものだった。しかし、彼女からもらったお返しは3000円くらいのものだった。そのことに対してすごく不満を持ってしまう。ここで「自分は1万円もするものをプレゼントしたのに、3000円のものしかくれないの?」と思ったら、それが「消費者の感覚」です。

愛は等価交換ではありません。非対称なものなのです。

愛は目に見えないものですから、プレゼントなどの形にして贈るということになってしまいます。そして、そのプレゼントの価値=愛の大きさという風に考えてしまってはもう既に「愛を注ぎ続けられる男」に至るには難ありです。

だからといって安いプレゼントをあげろと言っているワケではありません。もちろん愛が大きければ高価なプレゼントをあげるだろうし、そういった価格に反映するという面は多少はあります。

ここではわかりやすいようにプレゼントを例にしましたが、つまりは愛を注ぎ続けられるという人は、相手のためなら自分の労力をいとわない人のことです。

「自分がこれだけしたんだから、相手からもそれ相応のことをしてもらいたい」ではなくて、「自分が相手にしてあげたいからそうした」という考えを持つことが愛を注ぎ続けられる男になるために必要なことだと思います。